運営者情報(プロフィール)

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20年間毎日アルコールを飲み続けるおっさんwastedtakaです。

日本語訳は酔っ払いタカやね。

年齢は51歳、関東圏でまあまあ高級有料老人ホームの施設長を退職し、現在和歌山の実家に戻りケアマネジャーをやっています。

結婚した当初は全然お金がなく元妻の実家でお世話になっててんけど、義理の母が義理の父のために買ってきていたビールを毎日飲み続け、元妻に「あんた自分で買ってきーや。」と怒られたことを鮮明に覚えています。

こんな話はどーでもええ話やけど。

 

さて、なぜ現有料老人ホーム施設長ではなく元なのか。

すでに書いてるように、辞めて実家に引っ込んだからなんですけどね。

 

あんまり興味ないかもしれませんが、辞めた経緯も含め自己紹介をします。

 

1972年生まれ

バツイチ 実家暮らし 娘が2人(結構かわいい) 二人とももう独立済み

趣味はパスタ作りとエアプランツ栽培

大学を卒業後定職に就かず大阪でHIPHOPのDJなどをしてるうちに卒業後半年でデキ婚。もともと、何も考えずに大学生活を7年も送り、就職超氷河期だったこともあり、自分が納得するような就職ができず(当たり前だが)数回転職を繰り返す。

 

介護の仕事に携わるようになったのは1999年ごろ

当時大阪ガスのサービスショップで働いていた時に、介護保険に関する研修があり、新しく始まる制度ビジネスであれば半端な自分でも人並みな給料をもらえるようになるかもしれないと思い、ヘルパー2級の資格を取り介護事業者に転職。

 

これまたどーでもええ話やけど、当時私の年収は240万ぐらいで2人目の子供が生まれた頃でしたね。その時の義理父の年金が年300万超だったのですんごい切羽詰まった気持ちだったのを覚えています。「お義父さんの年金より年収低いやん。これはアカン。」みたいな。その頃ですわ、冒頭の元妻の実家に住まわせてもらい、お金出さんとビールを飲み続け元嫁に怒られたんわ。まあ、日にビール3缶も一銭も出さんと飲み続けたら怒られるわな。

 

で、話を戻しますが、そこの介護事業者では7年勤めました。

その時のサービス提供責任者のオバちゃんの利用者に対する態度や言葉遣いがセンセーショナルすぎて「自分が歳行って、もし人のお世話にならなあかんようになったときに、絶対にあんな対応されたくないわ。」と、今の自分の仕事の原点になる経験をした職場です。

 

何がセンセーショナルやったかというと、まさに利用者に対するタメ口と上から目線的な発言でした。

一人暮らしのお家に行って「こんにちわ。上がらしてもらうで。体調どう?あんた私の言う通りリハビリせんから歩かれへんようになってくんねん。」と言いつつ、その方のお尻をペシペシたたきながらおむつ交換をする。

入社してあまり時間がたっていないタイミングだったので、「まじか!?」「これええの?自分やったら絶対こんな人に対応してほしくないわ。」と嫌悪感を抱いたのを鮮明に覚えています。家族がいる家でもあまり変わらない対応だったので、苦情をもらうこともよくあり、私がそのおばちゃんの代わりに謝りに行くこともありました。で、嫌悪感を抱いてしまってるので私の態度にも出てたようで、このおばちゃんには、よういじめられました。

 

こんな強烈な人はその後あまり会ってへんけど、その経験があるため、私は絶対に利用者に対してはタメ口反対で「です。」「ます。」で話をするようにしています。

 

その後、有料老人ホームに転職して15年7カ月働きました。

最初は営業として入ってんけど、半年ほどでケアスタッフ不足もあり、中の仕事に異動となりました。

 

 

この15年7カ月、いろいろなことがあったけど、死ぬほど頑張りました。

 

ホンマに「死んだら楽になれるんかな。」と、そんな思いがよぎったこともあります。

 

私が働いていたホームは、入居一時間が1000万円超とそこそこにお高いホームだったので、まず、一気に部屋が埋まることはありません。オープニングスタッフとしてある程度の人数のスタッフは確保してスタートするんですが、入居は一斉に気に入ったフロアに入居してもらうわけではなく、上のフロアから順に入居を進めていき、そのフロアが埋まれば、それを見つつケアスタッフを採用しながら、次のフロアに入居してもらうといった方法をとっていました。

そのホームは6階建てで、5,6階 → 4階 → 3階 → 2階の順でフロアをオープンしていきました。

そして、3階もある程度めどがつき、2階をオープンするとなったころ、当時はケアスタッフの責任者をしていたんやけど、募集しても人が集まらん?!

ガーン ですわ。「とりあえず人足らんからちょっと入居止めて。」って営業会議で言って、3か月止めたんやけど、3か月なんてあっという間。3か月目の営業会議で「いつまで止めたらええの、待ってもらってる方いるけど、もう待ってもらわれへん。」って営業がやいのやいの言ってくるもんやから「じゃあええわ。しゃあないわ。」と、一応入ったばかりのスタッフもいるので、入居をスタートさせました。

 

これ、実際に働いている人ならわかると思うけど、入職して1か月ではなかなか働くほうも大変やし、教えるほうも大変。

ていうか、経験のある新入社員なら、目の前の方の対応は可能やけれども、人おらへんからって教えること教えずにやってもらうと、当たり前やけど、その人流になってしまう。そうなってしまったら、後で修正するの大変やん。教えられるほうからすれば「ちゃんと教えてもらってないのにこっちは気使ってやったのに。」となるし、教える立場の方は「こっちも時間なかったからしゃーないやん。でも、そんなやり方は困んのよ。」てなかんじで。

 

少し話はそれるけど、どんな仕事でも同じやと思いますが、理念の共有って大切やと思うんですよね。そこが共有されてなかったら施設介護の現場なんてホンマ、カオス状態ですよ。カオスになってからの修正ってめっちゃ大変。そう思ったら、やっぱり最初に伝えなければいけない事はしっかり伝える。また、その伝える人の教育とかも大事やと思うんですよね。

 

話が横にそれまくったけど、私が「死んだほうが・・・」と思った話に戻します。その時の入居対象者が、他のホームに入所中に転倒、大腿骨警部骨折後リハビリして手引き歩行可能な80代前半女性、中~重度の認知症あり。リハビリ施設での聞き取りでは、ナースコールを押してもらうように言っても指示が入らず、トイレに行くために起き上がってくる。家族は前のところには戻したくないと言っている。

「おーい、絶対これ入居早々こけたりしたら揉めるやつやん!」

ただこの時どうしても夜勤の体制で、1か月ほど朝5時から7時まで2階で何かあってもすぐに動ける人員が配置できない。

 

どうする?

私が出るしかないやん。

はぁ~

 

ということで、朝5時出勤が始まりました。もちろん事務仕事があるので5時出勤したからと言って14時なんかに帰れません。現場は18時に終わらせそれから事務仕事。21時には終わらせて、家に帰りすぐ風呂入って深酒をせず22時には就寝。翌日3時10分に起きて、朝ごはんを食べ、洗濯物干して5時にはフロアに上がりモーニングケア。(この時は単身赴任で一人暮らしね)

14連勤ほどしてやっと休みと思ったら、休みの日にスタッフが急に休んだので普通に出勤。計19連勤してやっと休みが一日とれたけど、目が覚めても起き上がられへん。その日は夕方まで横になったまま、やっと起きて初めての食事をして、また次の朝3時起きのために寝る。

といった生活で、ちょっとこの時点で病んでたと思います。

 

やっと3時起きをしなくてもよくなり、その日は現場仕事がなく9時出勤だったにもかかわらず、もう、頭の中が休みたい!!!でいっぱい。6時に起きたものの体が動かん。とりあえず8時半ごろ事務所電話して12時に出勤するからと伝えて横になったものの、10時を過ぎて出かける用意せんとあかんと思ってもどうも気持ちと体がついてこず起きられへん。再度電話して14時に行くと言ってまた布団に入ってんけど、そうなったら、今度「休みたい、行きたくない。でも、行かんとやることいっぱいあるし。」との思いがぐるぐる回って、その時「はぁ、死んだら楽になるんかな。死ぬとしたら、ドアノブにタオル掛けて首ひっかけたらいけるかな。」とめっちゃ具体的に考え、ちょっと衝動的になりかけたけど、なんとか思い直し13時半に出勤。

出勤したらスタッフが私の顔を見るなり次々と「マネージャーこの件ですけど。」と報告、相談のラッシュ。

「あ~休まれへんし、やっぱり休んだらあかんわ。」とその時思いました。でも、今思うと、本当にあの日休まんでよかったなと。もし休んでたら、そのまま病んで休職していたかもしれんし、最悪衝動的に本当に行動していたかもしれん。

結果、その月(8月だったと思う)の丸一日休めた日は、夕方まで横になっていたその日1日のみ、あとの休日はすべて休日出勤。残業時間150時間ぐらいとなっていました。

2014年15年ごろなので当時はこんな残業時間でも特になにも会社からお咎めは無しでしたが、これ、事務仕事だけじゃなくて、食事介助、排泄介助、入浴介助など現場仕事をこなしながらなんで、ホンマにきつかった。

 

でも、その後スタッフに恵まれていたおかげと、頑張った甲斐もあって、スタッフの定着率もよく、また、入居者やそのご家族からの評判もよかったので、収入も上がり施設長にも昇進しました。

 

で、盛者必衰、好事魔多しですわ。

昇進して、新規オープンのホームに異動になり半年ほどたったころ、いつも通りいろいろ整えるのを頑張っていた時、単身赴任なんで、大体1か月に1回は自宅に帰っていたんやけど、何となく妻の様子がおかしい。私と話をしていても返事が生返事、よく観察すると携帯をとても気にしていて肌身離さず、今まではそんなことなかったのに風呂に入るときに脱衣所まで携帯を持っていく。

「ん?浮気してる?」

本人にline見せるように言ったら、画面をスワイプして「はい」って手渡されても、なんか消してるやん。

かなり、怪しいと思った次の月の帰省したときに、先に妻が携帯を持ったまま寝ていて手から携帯が床にこぼれ落ちていたので拾って画面を見たところ、知らん名前から着信履歴が・・・

もう、これは見るしかないなと思って、指紋ロック外してlineをみたところ

絶句・・・・

生々しいやり取りが・・・・

 

もう、自分の中では整理ついてるはずやけど、これを書いていて当時のことを思い出すとやっぱり胸がしんどくなる。単身赴任で浮気もせず何のために必死に仕事やってきたんやろ?ってね。冒頭書いたように、結婚当時は本当にお金がなくって、そのことで喧嘩になり「離婚してほしい。」とまで言われた経緯があるんよね。いろんな人がおるのでいろんなご意見があると思うけど、当時私は元妻のことが大好きだったし、下の娘が生まれたタイミングでもあったので「どうにかせんと。」と思って歯食いしばってやってきた結果がこれ?ってね。

 

まぁいいですわ。

で、その後の詳しいやり取りはさておき、その後離婚。

 

ここで、一回心が折れかけてんけど、まだ上の娘が大学と、下の娘が高校生でこれからがめっちゃお金のかかる時期に差し掛かるので何とか自暴自棄になるのを踏みとどまる。

ただ、その時から完全に仕事への情熱とパフォーマンスは落ちました。もう、一時は燃えカスのような状態でしたね。

 

また、ふと思い出したどーでもええ話やけど、そのころストレス発散のためにSLIPKNOTをヘッドフォンで大音響で聞いてましたわ。「psychosocial」とかね、40代のおっさんが聞く曲やないね。だいぶ病んでましたわ。そのおかげか、最近の健康診断で聴力の衰えを指摘されてます。(笑)

 

 

そうこうして2~3年、運営状況もいくらか落ち着いてきて自分の精神状態もましになってきたころ、別のホームの施設長が退職することになり、そこへの異動の話がやってきました。まあなんで私にその白羽の矢?って感じやってんけど、そこは大規模なホームだったので、本社も勤続年数が長く、本社としっかりコミュニケーションが取れる安心できる施設長候補となれば人員は限られ、近隣でギリギリ落ち着いているホームは私がいるところだけだったということが理由だと思います。

 

そこのホームは介護が必要な方80名、元気な方220名の超大規模ホームで、そこに勤めていた施設長は私と同学年でしたが、私も一目置くとても優秀な方でした。なので、オープン当初は「あんな大規模なところ、彼しか出来へんで。俺は絶対無理。」とか言っていたぐらいです。

 

まあ、サラリーマンなんで人事異動を断る理由もなく、「はぁ、しゃあないですね。」と受けてしまい退職への一歩を踏み出してしまいました。

 

実際着任して、はじめは「何とかなるやろ。」と安易に考えていました。しかし、運営状況は何とか回ってはいるものの、部門のマネージャー同士の仲が悪いため部門間のコミュニケーションがめっちゃ悪い。また、介護部門においてはガバナンスが効いていないというか、マネージャーがプレーヤー過ぎて、入居者にもスタッフにも目が行き届いていない。だから、スタッフも入れ替わりが激しく、指導なんかもあったもんやないので私の大嫌いなタメ口

「お風呂行くよ~。」「どうしたの?お腹痛いの?じゃあ看護師さんに言っとくね。」などが当たり前のように飛び交っている。

 

まず、常勤だけでなく派遣の清掃スタッフまで全員の面談を行い、もし自分が1000万円の入居一時金を支払って親を施設に入居させた時に、どんなことを期待して入居を決めるか。タメ口で話すことはリスク以外の何物でもない事を伝えました。でも、そもそもコアメンバーが整っておらず、また現場のマネージャーからその発信がない。コロナで家族の来館が制限されており、家族の目がないのでスタッフも緊張感に欠ける状態でなかなか修正が進みませんでした。

 

それと同時に、入居者の家族からのクレームが続く続く。

本当に何かに取り憑かれてるかというほどでした。

まず、異動して2~3か月たったころ入院中に亡くなった入居者の家族から、しかも亡くなる3カ月ほど前に初めて連絡が取れた家族から、「亡くなったのは施設の対応が遅かったからじゃないか。文書で出せ。」と苦情があり、説明したが納得せず、役所にも電話をしたようで、役所から連絡が入り経緯説明を行い、やっと3か月ほどで収まったと思えば、今度は郵送物に関して違う家族から「郵送物は別の家族の所にしてくれと伝えたはず。内部の連絡体制はどうなってる?」と。こちらも「文書で出せ。」ですわ。このやり取りを電話で1時間以上罵倒され続ける。で、このやり取り1回だけやないからね。5~6回はしましたね。休みの日にも「電話かかってきた。」と事務所から連絡があり、「電話してこい。」ということだったので対応して・・・と、思い出したら腹立ってきた。挙句の果てに「前の施設長はよくやってくれた。お前は出来てない。お前首掛けて仕事しろよ。」とか言われてね。さすがに「は?俺引継ぎなんか急やったから1日しか受けてないわ。お前って誰に言ってんねん。大体なんでそんなことでキンキンに怒ってんねん了見狭いの。」と思って腹立って黙ってたら「聞いてんのか!」て言ってくるんで「たとえご家族であっても、お会いしたこともなく、私のことを何も知らない方にそこまで言われるのは納得いきません。」と一言言ってやりました。

ホンマやったら家に行って「お前誰にぬかしとんねん。お前何様やねん。」と正座させて、ぼっこぼこにシバきまわしてやりたい気持ちでしたけどね。これやったら事件になるか。

 

 

スタッフにおいては、家族の対応してえらい目見ているさなか事務系の責任者が「私のことを避けてる。」とか言い出し、個別面談すると1回2時間コースで相談室でギャン泣きする。大体、廊下であいさつしても無視して、あからさまに人をよけるような態度してるの自分やんって。この面談が、帰り際になるもんやから、今日は20時に帰れるわと思っていたら22時やん。ホンマたまらん。

いろんな細かいことは省くけど、超自己中心的で完全サイコパス。

 

こういった事がボディブローのように効いていたのかもしれません。

 

で、一番きつかったのは、「こんなところ選ばなければよかった。」と家族に言われたことです。これが2回連続して続き、心がぽっきり折れました。

もちろん、スタッフは一生懸命やっていましたが、統制がとれておらず、きめ細やかにできてなかったんやと思います。

 

私の理想は「高いけれども、ここに入居して良かった。高いだけの値打ちがある。」と思ってもらえることでした。で、先述した通り、死ぬかなと思うほど必死にやってきたし、実際今まで「ここ選んで良かった。」と言ってもらってきたので、どうしようもない不甲斐なさと虚無感を感じて退職することにしました。

 

でも、今考えると、仕事に関してはやっぱり自分が原因やったと思います。

先のサイコパスな職員が「辞める。」と言ってきたんです。その時、引き留めはしませんでしたが、「辞めたらまた大変な思いをすることになる。」との思いが頭をよぎり、最後の確認をしたことによって辞めるのを思いとどまらせてしまいました。自分に「覚悟」がなかったんやと思います。以前は持っていた「自分らがせんのやったら俺がするわ。」ぐらいの思いがなかった。だから、辞表をそのまま「わかりました。」と受領できなかった。

また、一般の職員にいくら「タメ口でしゃべるな。立ち振る舞いに気をつけろ。きめ細やかに観察しろ。」と言っても「覚悟」のところを見透かされてて、心に届かなかったんやと思います。

 

まあ、余談ですが離婚も自分自身の考え方の甘さが、結果こうなってしまってんなと思っています。

 

 

いやー、長い話になりました。

 

で、なんでブログを始めたかというと、3つ理由があります。

1つ目はそんな私の経験でも、今介護現場で働いている人の考え方の参考になって少しでも助けになればいいなという思い

 

2つ目は有名なサイトでいろいろと老人ホームの選び方の記事はありますが、老人ホームに入居を検討されている方やその家族に、実際に現場で働いていたリアルでニッチな情報を提供して参考にしていただければいいなという思い

 

3つ目はそんなホスピタリティマインドばっかりな話だけではなく、田舎に帰ってきて働き始めたら、当初の70%ディスカウントな年収になってしまったので、収益化して少しでも生活の足しにしたい

 

そんな思いで、スタートしました。

 

介護に全然関係ない話もあるかもしれませんがそこはご愛敬とご容赦していただければと思います。

 

よろしくお願いします。

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