人生会議のやり方とは※人生最後の時をどう迎えますか?

介護施設の悩みあるある

人生会議のやり方とは※人生最後の時をどう迎えますか?

皆さん「人生会議」という言葉を聞いたことがありますか?

「人生会議」を簡単に説明すると

もしものときのために、あなたが望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取組のことです。

だそうです。

「ACP(アドバンス・ケア・プランニング)」を2018年に厚生労働省が愛称を募集し「人生会議」に愛称選定委員会が選定し決定しました。

この辺の詳しい話は「人生会議」で検索してもらうと厚生労働省の「人生会議してみませんか」というページが見つかりますので、その話はそこでしっかり確認してもらうとして、親に急なことがあったとき、もちろん自身にも急なことがあったときに困らないように、ぜひ家族間で「人生会議」をしてくださいね。という話です。

 

人生会議のやり方とは※人生最後の時をどう迎えますか?

今回のポイントは

・人生会議で何を話すか

・家族が意識不明で救急車に乗ると何を聞かれるか

・人生会議のメリット

です。

 

人生会議で何を話す?

これって元気な時にいきなり話し出すととても違和感がありますよね。

私の失敗談をお話しします。

私は70代の母親と2人暮らしなのですが、母が夏暑いのに日中冷房もつけず家にいて、胃が痛いとか言ってあまり食事がとれない日が数日続いていました。

余談ですが、その胃が痛い理由が、実際は軽い熱中症で体調不良になっていたと思うのですが、母の言い分は私のせいだったそうです。

私の母はあるあるですが、モノを捨てられないんですよね。例えば、私が高校生の時に来ていた30年前のジャージとか(笑)「そんなん誰着るの?」と聞くと、「弟たちが帰省してきた時に着るかもしれん。」とか言って捨てない

「誰も着んわ。はよ捨て。」とかいうと「あんたと喋ってたらやり込められるようで、胃が痛くなってきた。ご飯食べられんのもあんたのせいや。」

とか言って、しまいには「私が買ってきたものなんか一つもない。お父さんかおばあちゃんが買ってきたものをなんで私が整理せなあかんの。」とすでにいない人に逆切れしだす始末。

まあそんなやり取りを何度も続けているのですが、確かに食べられておらず、また、半年前から8キロも体重が減少していると聞いたので、「それはさすがに病院いったほうがええで。」と受診を勧めました。

で、近くのクリニックを受診して結果を聞いたところ、内視鏡検査は先になりましたが、まずはエコー検査をして、先生に肝臓に何かあると言われたそうです。

実は私の母は宗教上の都合から輸血を拒否していることもあり(私からするとそんな人病院からしたら超迷惑やと思いますが)「それガンだったとして手術することになったら輸血断るの。」

と聞いたついでに人生会議について説明して、急に倒れて完全息止まった状態で発見したときに心臓マッサージを希望するかどうかや気管挿管を希望するか尋ねると、「あんた、私が死んでほしいんか?」と怒りだしてしまいました。

ここでの失敗は、私は仕事柄救急搬送などの経験を幾度となく行って、自分自身がもしそうなったらというシミュレーションを何度もしているので、考えがまとまっていますが、母の場合はまだ何も確定していない状態、ましてや本人は100歳まで生きるとか言って、自分が死ぬというようなことを全く意識していない状態で急に矢継ぎ早に聞いてしまった事が怒り出した原因だと思います。

「ACP(アドバンス・ケア・プランニング)」の方法にもありましたが、早すぎる時期(健康な時や病状が安定している時)に話すと不明瞭、不正確になり、遅すぎると行われないため適切な時期を逃さないことが重要だそうです。

まさに、早すぎる質問でした(笑)

でも、急なこともあるかもしれませんよね。では、どんなタイミングが適切な時期なのか?ですが、私は考えるきっかけになりますし、不明瞭でもいいので例えばニュースを見ていてそんな話題になったときにすればいいと思います

考えはいろいろ変わると思います。その時の思いを共有していけばよいのではと思います。

そこで、どんな内容からスタートするかですが、まずは「代理意思決定者の選定」自分が意思を表示できなくなった時にだれに託すか 、また「もし自分の命があと1か月と短いことを想像した時、どのようなことがいちばん大切か、してほしいこと、ほしくないことは何か?その理由は何か?」「これができなないまま生きていくことは考えられない。

という自分にとって欠かせない機能はどんなことか?その理由は何か?」などについて話し合うとよいそうです。

まあ、余命1カ月を想像してだと考えられそうですよね。

前述しましたが、人の気持ちは変わりますので、状況に応じて確認していきましょう。

 

意識不明な家族とともに救急車に乗ったら何を聞かれる?

多くの方はそんなに救急車に同乗したことはないですよね。

いろんなケースがあると思うので一概に言えませんが、私の経験上、もしご家族が意識不明で心停止していたら、心臓マッサージから始まります。

というか救急要請して「心臓止まってそう」と伝えると先方から「心臓マッサージをお願いします。」と依頼されます。

少し話がそれますが、年配のかた、特に骨粗しょう症と診断されている方は、心臓マッサージをすることによって、肋骨がバキバキに骨折してしまう可能性があります。

これで心臓の動きが戻ってきたとしても結果本人が大変つらい思いをする可能性もあります。心停止している場合はそのことも考慮に入れてお考え下さい。

病院までの道中、もしくは病院へ着いてから「昇圧剤」を使うか、また、「気管挿管を行うか」を聞かれます。

「昇圧剤」とは血圧を上げる薬です。「気管挿管」は緊急時に気道を確保する目的で行います。

「昇圧剤」や「気管挿管」等をなぜ利用するのか細かい内容は差し控えますが、「気管挿管」は意識が戻らない場合でも心臓が動いていれば抜くことができません。特に終末期に関しては所謂「植物状態」となります。

「気管挿管」に関しては、どのような状態なら行うのか又は行わないのかよくよく考えてご家族間で相談してください。

 

人生会議のメリット

人生会議を行う大きなメリットの一つに、残された家族が思い悩む必要がなくなるということが挙げられます。

本人の思いを聞いておらずに、生死の決定を行うことはたとえ家族とはいえかなりストレスのかかることです。

また、決定後も「実はこうしたほうが良かったんじゃないだろうか。」と自分を責めてしまうことにもなりかねません。

ここでもう一つ私の体験談をお話しします。

私が働いていた老人ホームに80代前半の認知症の女性が入居されました。

その方はかなり認知症が進んでおり、ご主人も認識されないほどの状態でした。また余談ですが、この奥様はご主人に「こんなはげたおっさん知らんけど、誰?どこの人?」といつもすごく悪態をつかれ、ご主人は「昔はこんなこと言うことなかったんだけどな。

はげたおっさんて言われてしもたわ。」とタジタジだったのをよく覚えています。

ご主人は昔ご商売をされており、ホームの近所に住んでいたためでっかいベンツで毎日のように面会に来られ半日はホームで過ごすといったような生活を続けておられました。

職員もご主人に「もう、ほぼ住んでるのと一緒じゃないですか。もう、隣の部屋に引っ越してこられてはいかがですか?」といつも笑いながら話していました。

奥様は入居当初は手引き歩行で歩けており、食事もゆっくりではあるものの自力で摂取できていたのですが、認知症が進行してきて、食が細くなり自分で食べられなくなったので食事介助をすることになりましたが、それでも口が開かず、飲み込む能力はあるものの、全く食べることも水分をとることもできなくなってしまいました。

入居当初から、ご主人から出来るだけ最後は自然な形で対応してほしいとの話を聞いていたのですが、念のため主治医も入れてカンファレンスを開くことにしました。

主治医より奥様が認知症の進行により口から食べることが難しくなっており、水分も取れない。

このままいくと1か月を待たずにお亡くなりになる可能性もある。

ごく少量になるが、介助で口から取れるだけ取って自然な形を保つか、胃ろうにして直接胃に栄養を入れる方法をとるかどうされますか。

という内容の問いかけをしました。

看護師だけでなく介護スタッフも、毎日ご主人が来ていたのでコミュニケーションは取れており、常日頃からご主人は最後は自然な形でという風に言っていたのでそのまま看取りの方向でと思っていたところ、ご主人が胃ろうを選ばれたので出席していたスタッフはひっくり返るぐらいびっくりしました。

これが、1回目の驚きです。無事胃ろうを造設したのですが、3か月ほどで、今度は胃ろうで注入した栄養分を嘔吐するようになり、1回の量を減らしたりしたのですが、それでも嘔吐するため誤嚥の危険があるということで、再度カンファレンスを開催し、中心静脈栄養にするかどうかの確認をしました。

中心静脈栄養にした場合はホームでの対応が難しく同市の医療法人が運営している老人保健施設への転居が必要でした。かねてからご主人はこのホームで最後までと言っており、また奥様の全身状態もかなり落ちてきていたので、転居してもそう長くはないだろう。

そのため流石に転居はないだろうと思っていたところ、転居を希望し移っていかれました。この時も皆驚いたのですが、でも、1回目のことがあったので、「あのご主人ならそういうことになるかもね。」と話をしたのを覚えています。その時ご主人が言った言葉が「彼女がいなくなったら僕は生きていけない。」でした。

この事例でお伝えしたいことは2点です。1点目は人の気持ちは状況によって変わるということです。

実際のところ、ご主人が特に「胃ろうを選んだ」ということについて、それまで、診察に同席されたタイミングや日々の雑談、ケアマネジャーと看護師が同席しての状況報告の際にも、「延命は希望しない。最後は自然な形で。」という話をずっとされており、働いている私たちからすればかなりの時間コミュニケーションをとっていたと思っていたのでとても驚きました。

ただ、代理意思決定者はご主人というかご主人しか確認する相手がいないため、この決定が間違いではないということも事実です。

結果として我々もきちんとしたタイミングで話し合いができ、転居の際には「これまで良くしてくれてありがとう。」と感謝の言葉をいただいたので、きちんと仕事をしたのだろうと思います。

2点目は「人生会議」の大切さです。現在人生最後の場面において、延命を希望するかなどその意思決定を本人ができない割合が7割だそうです。

転居前の奥様の状態は、起きていて声をかけても全く無反応。

自分で動こうともまた動くこともできない状態、近くで見ていた我々からすれば何の楽しみもなく、生きている喜びなんかないだろうと思える状態だったため、本当にご本人は点滴までして延命を望むだろうかと考えさせられました

言い方は悪いですが、ご主人のために延命させられているように見えて、私の中ではとても奥様が気の毒に感じる体験でした。

この奥様に関しては、もうご本人は自分の置かれている状況も理解することができない状態だったとは思いますが、私の経験上、高齢になり、体の状態が落ちてきて食が細くなってくるのは体が栄養を受け付けなくなってきている。

最後が近づいてきているサインだと思います。自分の意思をしっかり表せたら、どういう対応を希望されたのか。

もしかしたら延命を希望されたかもしれません、若しくは、食べられなくなったら自然な状態で最後の時を迎えることを希望されたかもしれませんが、それはわからないです。

結果としてはご主人の希望する通りこの世に少しでも長くいる事となりました。

ご主人も悩まれたでしょうし、ご主人が悪いわけでもありません。

 

まとめ

人生会議のやり方とは※人生最後の時をどう迎えますか?

についてお届けしましたが如何でしたでしょうか?

今回の事例から「人生会議」を行うことによって、最後に対する意思表示をしっかりと行い、残された家族が悩んだりすることの無いようにと考えるきっかけになれば幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

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